映画『少年は残酷な弓を射る』感想再掲 (事件で連想した2012年公開の映画。)


映画『少年は残酷な弓を射る』
2012.08.21 Tuesday
ものすごく重くて怖い映画だった。 
『少年は残酷な弓を射る』
怖いというのは、初めの方で、
映像的に気持ちの悪い色彩の使い方をあえてしているということから、
映画のストーリーには必然であるらしいものの、
私は、それらしいシーンは全てカットして視たので、
実は、見ていなかった間に、次々と展開していて、よくわからないまま、
映画が終わっていた。
ということになっているかもしれない。

まず、冒頭の方で、スペインのトマト祭りのようなシーンがあって、
血にまみれた群衆のような気持ち悪さが嫌でしばらく下を向いている間に、
画面は動いていた。

次に見ると、また壁やドアが血を思わせる赤で着色していて、
どうやら、近所の人に赤い塗料を投げつけられて汚されたらしい。

主人公らしい女性は、塗料をぶちまけられた車の
フロントガラスだけを拭いてその汚れた車を運転して町に出かけて行く。
就職先を探しに行ったのだ。

町では、通りすがりの二人連れのおばさんから、いきなり殴りかかられ、
罵声を浴びる。
主人公の女性は、そのような理不尽な仕打ちを受ける理由があるのだろうか。

仕事を見つけ帰って来ても、部屋の中の様子も外の状況も、
何やら陰惨な風景。

この辺りで、私は映画館を出ようかと思った。
怖いシーンの連続じゃないかしらというのと、何が何だかわけがわからない、
という理由で。



でも、そう思った頃、
やっと、ストーリーらしいものが見えて来て、
いきなり別の映画のようにもやもや感が取れてクリヤーな映像が展開しだした。
このあたりの作り方、悪夢から醒める感じの見せ方だ。
で、ちらちら見の私にも、やっと人物の関係とストーリーがつながって来る。
やれやれやっと普通の映画になった。
と思ったものの、どこに残酷な描写が出て来るかわからないので、
用心しながら見る。

お蔭で、後から、見終ってから考えると、私が勝手に想像して、
実はそういうシーンはなかった
というのが、幾つがあった。

妹がアイパッチをしていたので、わ、弓で射られるんだ(単純)、と思ったが、
妹が眼を大怪我するのは、溶剤であったらしい。
で、その溶剤という言葉を聞いたので、妹のハムスターが消えたという時、
わ、ハムスターがディスポーザーで溶かされるシーンがこの後あるんだ、
と思って画面を見ないでいたら、どうやら、その後の台詞では、
そういうシーンは想像させるだけで直接は見せなかったらしい。
やれやれ。

そして、この作家は、というか監督は、そういう直接的な残酷描写は、
あまりこの映画の中ではしていないらしいのだ。
そういうことが描きたいことではない。ということらしく、
それは、想像におまかせして、恐怖や戦慄は、
心理的な面から呼び起こす方針であるらしい。
ほんとにやれやれ。

で、映画館を出るのはやめて、最後まで見ることにしたのだが、
結果的には、ズシーンと来る怖い映画ではあったが、
やはり見てよかったのだろう。
映画館を出た時には、どんなミュージカルでもいい。
つまらないのでもいい。口直しにとにかくミュ-ジカルが観たい!!
とは思ったが。

アメリカの学校の銃乱射事件や大量殺傷事件
の当事者にも家族はあり、
母親もいる。

どのようにしてそのような事件を起こす悪魔的な人格が育ち、
そのようなとき、母親はどうすればよかったのか、といえば、
結局、わからないのだろうな。

人間はみんな自分自身に悪魔を内包している存在でもあるから、
分け入って行けばいくほど複雑な迷路に迷うわけで。
子どもの心が知りたいと思えば思うほど、
わからなくなるわけで。

母親にとっては、男の子は、どうしても未知の異星人的なところがある。
この映画の母親も、なぜ、どうしてと、ずっと問い続けるのだろうな。
愛情が足りないから、或いは過剰であるから、
という理由なら、まだしも方法があるかもしれない。
でも複雑なのだ。人間というものは。

しかし、それでもこの映画の母親は、
近所の人の手でぶちまけられた赤いペンキを丁寧に掃除して取り除き、
深いグリーンの色のペンキで塗り直し、部屋を整え、
黙々と慎ましい清潔な、聖らかな空間を作る。
このあたりトルストイやツルゲーネフ的な僅かな救いの形を見た気がする。
他にどうしようもないとはいえ。

事件後、(息子は体育館のようなところに生徒を閉じ込めて、
その弓を次々と射たのだ。
(射られる瞬間の画像は映像では見せない。想像させるだけ。
多分。このあたり見ていなかったからよくわからないが。)
その上、父と妹もその矢の犠牲になっていた。
こちらは庭に弓の刺さった遺体となっていた。)
母親は、「悪魔」の母親という目で見られ、豪邸を売り払い、
冒険家で作家というこれまでのキャリアに関係のない
生活する糧を得るだけの簡単な事務の仕事に就き、(よく雇ってくれたと思うが。)
息子の収容されている刑務所に通う日々を送る。

その淡々とした姿に、人々の罵倒も、軽蔑の眼差しも、
周辺社会での孤立も、あらゆることを受け容れ、
また、徒に嘆いたり自殺をしたりもしようとせず、
(少年がどんなに懐かなくても反抗しても、戸惑うだけで、
虐待も無視もしなかったのと同じように。)
そのような中でも、発狂も自殺もせず、
敬虔な祈りでも捧げるように普通に暮らし、
地獄へ墜ちたとしても、最後の最後まで、
息子と共に生きると覚悟した母親なのだなぁ、と思った。

この映画の中の父親は、およそ似合わないタイプの父親で、
そこがミソなんだろうけど、あまりにも接点がなさそうに見える。
子どもが生まれたと知った時、相談してほしかったな、と言い、
息子の異常性が明らかになると、一度カウンセリングを受けろと言い、
問題が悪化すると、別々に暮らすしかないだろうと提案し、
終始、自分が問題を引き受けることはない。

最後には射抜かれることが、その瞬間に決まっていたような行動や発言を
端々でしていることを本人は気づかず無意識にしている。
父と子の関係は、気質に似たところのある母親とのピリピリと神経質な関係を
リラックスさせ、中和するようなものでありそうに見えながら、
悪魔的結末を誘導する紐と輪を用意している皮肉な関係にある。

そうして父により弓を与えられ、与えられた弓で、
彼は、複数の他人と父と妹を殺すのだ。
天使のように可愛く罪の無い妹を殺す時にも
彼の心は痛まなかったのだろうか。
寧ろ、それゆえに、
天使のように美しく無垢で無邪気であるゆえに、
憎んだということなのだろうか。

(嫉妬、復讐、その他諸々、殺人の理由はあるだろうが、
善悪の是非を越え、超人的に、自らが神となり
天罰を下すような価値観だけでなく、
さらに残虐さそのものに他虐と自虐の入り混じったような
官能的快楽が伴うとすれば、
それはやはり病気ではないかと。

誰にも何ともしようのない残虐性と快楽が結び付くのが、
人間の基本的性質の一部に組み込まれているとしたら、
戦慄以外の何物でもないが、人類の歴史を通してみれば、
ローマ人が奴隷をライオンに食させ競技場でそれを見て楽しんだように、
ナチスがガス室でユダヤ人を殺し、
十数万の人が一瞬で死ぬことを知りながら、
原爆の二度の投下が行われたことを思えば、
人類共通の性格とも思える。

恐ろしきは人間、凄まじきは人間、
死者から髪を引き抜く『羅生門』の世界は、
昔のことでも、他人事でもないということになる。
比喩としても食べ物を扱う手つきにも、特徴のある映画だった。
恐怖を与える対象としての食べ物。
食べ物を見るだけで怖さ度がアップしていく描写。
妹の失くした眼のようなライチを、ゆっくり食べ、
パンや肉を汚らしい正視できないものとする。)

屈折した関係にあった母親だけを殺さずに残し、物語は終わる。

そして終わったところから、全てを失ったところから、
冒頭のシーンへとつながる。

大人の刑務所へ移送されることが決まった日の面会室での別れ際、
母と子の互いの身体をぶつけるような強いハグ。
救われたのは観客だったろうか。
「下人の行方は、誰も知らない」じゃないけれど、
その後、彼の心がどうなったのか、それは誰にもわからない。

「愛は惜しみなく奪う」という言葉があるけれど、
自己愛が普通以上に強く、誰一人、比較する人も、
何一つ比較する物も、心を他に奪われる対象もなく、
独占欲が強く、一神教の唯一神のように、
紛れなく汝、我だけを愛せよと命じる心があるのだろうか。

そして、母親の不安な心を投影するように泣きつづける子どもは、
母親をてこずらせ続け、言葉も遅く、おむつもなかなかとれず、
しかも懐かない。

そんな暴君がいて、それが、ゼロ歳児で、
二歳になっても、八歳になっても、
そして十六歳の誕生日を目前にしても、
試すように挑むように触発し続ける。
何者にもかけがえのない存在として、
全身全霊で愛されることを望んでいるのだろうか。
ただ単に嫌いなのだろうか。
それが、不明なまま、ある日、事件は起こる。
まさに、彼の母親から一切を、彼を除く一切を奪い取る事件が。



母親役をしている女優ティルダ・スウィントンが、
制作、総指揮を取っている。
数々の賞にノミネートされているこの映画の、
原作、ライオネル・シュライヴァー『We Need to Talk About Kevin』
の翻訳本が発売されるまでには、衝撃的な内容のせいか
時間がかかったらしいが、今は発売されている。読んでみようかな。


風間祥  * 『映画・演劇(宝塚)・TV・コンサート』 * 16:46 blog『銀河最終便』より



ボーガンは何故規制されないのだろう。
映画の少年は、洋弓で、大量殺人をする。
銃と同じ危険な殺傷能力を持つ。
昔の戦争では、弓は主要な武器だった。
音が無いだけに、不特定の殺人や、
行きずりの殺人の道具として使われれば、
余計に犯人の発見が遅れるだろう。
模倣犯が出ないうちに、
一日も早く規制してほしい。


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