疫病を逃れるためにあのような高いところに造った町かマチュピチュを視れば


「禍も三年経てば用に立つ」とか、
「茨の中にも三年の辛抱」とか、
浄瑠璃の台詞にもあるが、

明治生まれや大正生まれの人は、
多分、そうして、日常の苦労や、
天下に満ちる災いも、
何度も何度も起こる戦争も、
その戦時下の日常も、
耐えたのか、やり過ごしたのか、
ともかく、そういう日常ならざる日常も、
日々のものとして、生きたのだろう。

思えば、日清、日露、満州事変、
太平洋戦争(大東亜戦争)
それが第二次世界大戦となり、
幾つもの戦争が、過ぎて行ったのだろう。

昔、日本の戦時中の国民は、
お寺の鐘から、
蔵に入っていた槍や刀、
農民は、鋤や鎌まで、
家庭では、鍋、釜まで供出して、
軍艦を造り、
お国の用に応えようとした。

今は、コロナ、コロナで、
不足する医療用ガウンの代わりに、
雨合羽 (なぜか、今時使わない言葉で募集する)
を、持ち寄る。

そうでもしなければ、ならない状態が、
既に悲しいほどに、
切羽詰まった負け戦の様相を呈しているが、
兵隊さんありがとうの代わりに、
今は、世界中で、
医師には拍手が送られる。

今回は、戦争でも経済でも、
常時勝ち組だったアメリカさえも、
感染者、死者数を日々更新し、
大統領選挙を控えて、
トランプさんは、感染病対策と、
経済対策に引き裂かれている。

中国は五千年の歴史の中で、
疫病に数え切れないほど見舞われ、
代々の皇帝の役割は、
疫病対策と、洪水対策であった。

アメリカは、それぞれの移民の母国では、
疫病の経験が、地球上どこでもあったが、
アメリカ建国以来は、経験が少ない。
第一次世界大戦の末期の、
スペイン風邪くらいだろうか。

疫病蔓延の歴史が、
歴史を変えて来た。
戦争以上の戦争。
王侯貴族も、
その難を逃れられない戦争。

日本でも、飛鳥・天平時代にも、
仏教を採り入れ、仏に祈り、
聖徳太子や推古天皇は、厨子に祀り
聖武天皇や、持統天皇は、
東大寺を建て、大仏を建立し、
諸国に国分寺を建て、
疫病失退散を祈り、死者を弔い、
遠くシルクロードの果ての国に倣って、
生き残っても、生きる糧を失った人々の
失業対策ともした。
そして、仏教の布教により、
人心を導こうとした。

平安時代にも、疫病が蔓延し、
政治が変わり、飛ぶ鳥を落とす勢いの
摂関家さえ、兄弟4人を相次いで亡くしたり、
位人臣を極めた大臣も、熱病に罹ったり、
政権交代のきっかけを作ったり、
華やかな宮廷文化の中で、
死の悲しみと、「もののあはれ」は、
日本文化に、陰影を与えている。

一族を失い、権勢を失い、
滅びへの序章を奏でる栄枯盛衰の歴史が、
今も物語に残り、かつて日本に生きた先人たちの
智慧と足跡を残している。

行基も空海も、ただ高位にあって
経を唱えたのではなく下界に在って、
人々と共にあり、山河を歩き、
井戸を掘り、水を与え、薬草を与えた。
西洋にあっては、聖書の中に、
イエスが足萎えを立たせたように、
魚を降らせ、パンを与えたように、
勧進して仏を造り、井戸を掘り溜池を掘って、
人々を飢餓から救ったのも、共通した仕業。

疫病は、繰り返し、人間を襲う。
私は、マチュピチュに行ったことはないが、
TVで見る映像で、その高い山の上にある都市を
見た時、思ったものだ。

きっと疫病から逃れて、
ここに安住の地を造ったのだろうと。
原因は、ヨーロッパからの侵略であったかも
しれないが、
戦争を避けたのかもしれないが、
彼らと共にやって来た、
或いはやって来る、
疫病から逃げたのではなかったかと。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス