私は、今回のことで政治家ばかりではなく医師までが信じられなくなった。


今まで信じていた方が、
おかしいと思われるかもしれないが、
今までは、一応信じていたのだ。
中には藪医者もいるだろうが、
大方の医師には信頼を置いていた。
専門家なのだからと。

難しい国家試験を経て、
医師免許を取って、
研修と研鑽に励んで、
有能な医師になるのだろうと。

でもね、
今回の新型コロナウイルスのお蔭で、
すっかり信頼を失くした。

原発事故の時の、
原発学者と同じだった。
絶対に格納容器はどうのこうので、
メルトダウンはありえないと言っていたが、
あてにはならないと思っていたら、
凄まじい惨事は起こり。
あの時と同じ。

著名で有能なはずの医師は、
定説を繰り返すばかりの、
いい加減なことを言っているし、
死後陽性で死んだ患者は、
最初に発見されることはなく、
何軒も何軒も複数受診の結果、
重症化している。
こんな大騒動の最中であるにも関わらずだ。



これは、まず、時間の喪失だ。
病気を正しく診断するのが、
臨床現場の役目。
それを担うのが医師。
医師の誤診は、
患者の命に関わる。
ウイルスとの戦いは、
時間との戦いであるはずだ。
それなのに、時間を失う。
重症化に時間は要らない。
たった4日で死ぬこともあるウイルスだ。
時間を喪失することは、
患者の命の喪失を許すこと。

ウイルスとの戦いを邪魔するもの。
それは、医師の経験による思い込み。
IFという疑いを持つことで、
救われる命があるはずだ。



数々の関門を設け、
検査キットも与えず、
いくつかの関門をやっと通過してのち、
医師の診断に拠れと言うなら、
その医師の診断が、
間違っていてはいけないのだ。

患者が罹患していた場合、
最初の誤診の段階で
ボタンを掛け違え、
次の医師が、また間違えば、
次々と、菌は増殖しながら、
患者は重症化するリスクを負う。



イギリスでも日本でも、
政治家や著名人は、軽症でも、
熱が無く症状が無くても
診てももらえ、検査も受けられるようだが、

一般人や社会的弱者は、
さてどうなることやら、
ECMOの割り当ても
回って来るかどうかもわからない。

生きるも死ぬも、
運次第のようで。



そういう意味では、
これもまた、
ウイルスという自然の手を借りた
社会淘汰と言え、
生き延びられるか、
生き延びられないか、
その経済的影響までも含めれば、
膨れ上がった分子を調節する弁が閉じたり
開いたりするような、
残酷な形で訪れる
波及的自然淘汰と言えるのかもしれない。







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