一人に騙される人は万人に騙される それは宗教も国家も同じ

日本は今、天皇陛下万歳の国になっている。
と、いうか、なお一層、なろうとしている。
国家を挙げて、一世一代の大嘗祭とやらを大々的に執り行って、
古代の、ささやかな五穀豊穣を祈る行事からは遠く離れ、
明治の国家神道のキャンペーン時代に戻っている。
天皇なるものを神秘化するために、
厳かなる上にも厳かなる存在とするために、
廃仏毀釈までして、
明治から誇大化した様式。

伝統を重視するというなら、
本当の伝統に従って、
何十もの建物も建てなくても、
五つほど建てて、
皇祖皇神に祈るというなら
祈ればいいので、
それが元の形。

その皇祖皇神は、何に祈ったのか知らないが、
おそらくアマテラスの時代は、
アマテラスが祈ったのは、
まさか自分自身に祈るわけはなく、
天なる本当の神という名の宇宙であろうから、
天皇も、皇祖皇神、天照皇大神に祈るのではなく、
自分の先祖に祈るのではなく、
それを引き継いだ身だと言うなら、
当然、宇宙を統べる法則に祈ればいい。
ひっそりささやかにね。
清らかな一点となって。

板屋の簡素なまでは素敵なのだから、
もう少し簡素を極めて、
究極の簡素の中で、
日本のシンプルな良さを極めればいい。

十数億もかけて造らなくても、
木小屋を建てて、
木小屋を壊す。
祈りを捧げ、
祈りの場を解体する。
それこそ伝統。
涼やかな一点となって。

途中、逼迫していた時代は、
220年も途絶えていた大嘗祭、
2歳や7歳の天皇もいた大嘗祭。

別に、参列者の観覧席を設けて大袈裟にやるばかりが、
天皇家への崇敬の思いを揺り起こすわけではない。

わざわざ剣と勾玉を持ち回ることもない。
いつも不思議に思うことだ。
何の意味あって、壇ノ浦に沈んだ剣のレプリカを
即位の儀でも、大嘗祭でも、携える必要があるのだろう。
皇位継承のしるしというなら、まるで意味がない。

簡素を極め、天地への祈りを捧げれば、
それでいいこと。

代替わりした天皇が、
禊ぎをし、せめてその時は、
現世の全てを脱衣し、
清らかな、精神だけの存在になればいいこと。
あのような仰々しく大袈裟な建築物はふさわしくない。

この世に神などというものはなく、
神は人間の心が作る。
或いは、
あまねく、全ての生物に公平に普遍的に存在する。




























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