治山なくして治水なし。昔から「治山治水」と言った。中国の皇帝でも日本の戦国時代の武将でも治山治水を基本とした。


「信玄堤」は有名だが、
みんな、領主たちは、
己が国土を大事にすることに於いては
誰も変わらなかった。

水を治めるためには、
山を治めなければならないことを知っていた。

今は、
千葉の長期停電の原因の一つとなった
木の空洞化もそうだったように、
今回の同時多発水害地帯の出現の原因となった
山の保水能力の無さが、既に
極限まで来ていることを考えさせられる。


定期的なメンテナンスを怠れば、
人間が作った管でも劣化するように、
自然に適当な間隔をもって種が育ち
淘汰もされた広葉樹と違って、

政策的に推奨され大量に植えられた、
殖産用の杉や檜は、
下草刈りもせず、
間伐もせず、放置すれば、
やがて杉も檜も竹林も、
山を崩し深層崩壊さえ招く原因となる。

保水能力もなく、
空洞化した山の表面を上滑りして、
災害を引き起こす。

再び言えば、治山なくして治水なし、なのだ。

そして護岸の方にしても。
保水量を越えた雨量のこともあるが、
もともと、正しく管理されてはいないのかという
疑いがある。



危機管理ということで言えば、
流域住民の安全対策の問題。
そして、国の予算の配分の問題。

信玄堤の信玄で言えば、
土木事業の工法以外でも、
もう一つ有名な言葉に、
「人は石垣、人は城」というのもある。
人を大事にしなければ、
人の信頼あってこその、治世でもある。
人の協力あれば、城など無用というもの。

国民を犠牲にして、
己一人天下人の栄華を極めればいいなどという
某首相とは、大分違う。

そのための治山、治水であって、
ただ苦役を課し、城や権力者を守るための
治山治水事業であってはならない。
あくまでも、
共に生きるための治山治水でなければ。

しかも、群雄割拠する戦国時代には、
なんだかんだ言っても、
互いに覇権を争う城の主を守るためで
あったかもしれないが、

現在は、少なくとも、国内は統一され、
国争いをする必要はないのだから、

目的が、人々の平穏な日常を守ることであれるわけで、
放置することで、そのツケが回って来るように、
放置した山に復讐されるのではなく、
出来るだけ、山や川や海とも、
共に生きる人間でありたいもの。


山の悲鳴を聞かず、山が空洞化すれば、
人間が復讐される。
それは必然のはず。

山や森が海を育て、海藻を育て、
魚を育てる。

人間も、その恩恵に浴す。
粗末にすれば、人間は、
干からびるしかない。

そういうことが解っていても、
なかなか、贅沢はやめられないが、
少なくとも、自然に対する畏敬の念は、
持っていなければ。

洪水を恐れるなら、
限りなく粗末に扱い限りなく放置して、
空洞化することのないように、
自らが空洞化しないために。





























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