もうすぐ11月


今生きている人は、みんなそれだけで、
運のいい人の集団でもある。
生存競争や、自然淘汰や、戦争や災害にも
生き残った強い種であるからだ。

(生きていても、
苦しみの中にある人もいるという声も聞こえるし、
とりあえず生きているだけでも幸福とも、
運がいいとも言えないし、
アウシュビッツや原爆のような
悲惨を味わうくらいなら、
生まれなかった方がいいとも言えるし、
虐待の中で死ぬ子どももいて、
個々別々に様々な生はあるのだが。)

みんな、
何十億分の一の競争を掻い潜って生まれ、
淘汰もされず生き残って来た遺伝子なんだし。

何十億年も遺伝子をつないで、
時代の波をくぐり、
幾世代も幾世代も生き抜いて来て、
現在、命あって暮らしているのだから。



特に、
日本人は運がいい。
(これまでは、であって、
これからもではないが。)
敗戦で、
一度は滅びそうだったのに救われ、
国土を分断されることも、
民族を引き裂かれることもなく、
絶滅を免れているだけでも運がいい。

他国を身代わりにしても、
良心も痛まず、
まだ嵩にかかって行くくらいだから、
それでも、国際社会で
地位を保っているのだから、
なお運がいい。

あれほどの大戦争をして、
原爆を落とされ、
日本中が焼け野が原になったのに、
その無惨は、当事者に集約され、
生き残った人たちは、
何事もないように暮らしているのだから、
とても、運の良い民族だと言える。

第二次大戦では、ナチスドイツと日本が
戦った世界の各地域で、何千万人の他国民と、
300万人以上の同胞を殺し・殺されるという
許されない大罪を犯しながら、
終戦となるや、
一夜にして総懺悔し、
昨日までの敵国の傘の下、
「自由と民主主義」を謳歌し、
豊かな国の後を追い、
栄華の時間を共有し、
その後、バブル崩壊後の、
失われた30年を経過しても、
阪神大震災、東日本大震災を経過し、
原発事故さえも経過しても、
生き残り、生き続ける人々は、
それだけでも運がいい。

少子化になり、
年金原資の未来も危うい中、
先のことは考えず、
生きて行こうとしているだけでも
強靭と言えば強靭だ。

「命長ければ辱(はじ)多し」の
兼好法師も驚く、
日本人の恥など物ともしない長寿ぶり。

この儚さにも、もののあはれにも程遠い、
生命欲の強さこそは、
全人類が死に絶えても生き残るだろうと
言われるゴキ殿ばりの、
生命生き残り組の強さの証左である。

世界一の長寿大国日本人は、
つまりは、生命欲に溢れた
強い運の持ち主の集団でもあった。

あったが、
これからは、わからない。

なぜって、少子化が、一番進んでいるのも、
日本だから。



ここまで生き残った日本人の、
そのまた一つの遺伝子の、なお一つ、
例えば自分自身に関して言えば、
どのように今、此処に在るのか。

マイライフ的に言えば、
どこをどう通って、
今、ここに存在しているのか。

人類は、
ずっとずっと大昔の大昔、
発生の起源をたどれば、
女性から女性へとたどる遺伝子的には、
アフリカのどこかのイブという女性に
行き着くと言われているから、
まぁ、そうとして、

どこをどう通ったか、
多分、
日本のいつかの古代の時代に住むようになり、

また、どこをどうたどったか知らないが、
中世までは京都に何百年か住み、
その後、は、四国の讃岐に移り、
以後数百年は、一族、同じところを全く動かず、

明治の終わり頃、
祖父母が関西に出て、
宝塚歌劇団が生まれる大正の初めの頃、
宝塚に住み、

その後、神戸市に移転し、
我が家は、戦争の時代を、そこで過ごした。

野坂昭如「火垂るの墓」状態の神戸。
最後の大正モダンの感覚の残る街の一郭。
谷崎が引っ越しを繰り返した頃の周辺。

神戸大空襲で近所は丸焼けになり、
壮大な焼野が原となったが、
我が家は、隣家「櫻正宗」の山邑さんから貰った
防火水槽代わりの、特大の酒樽に救われて焼け残り、
戦前に露西亜から来た人が建てた我が家の煙突と赤い屋根が、
長い間、遠くからでも見えることになった。
その家で、やっと戦争が無くなったことを喜ぶさいわいの兆し
という意味の名を持たされて、この焼け野が原になった町が
新しい年を迎えようとする頃、私は生まれた。

しかし、
まだ就学前だった頃は、
四国の家でも半分、暮らした。
素朴に、浦島太郎の村の子供のように、
海老や蝦蛄をおやつにしながら。
漁港に迷い込んだ亀が、
大きな盥に入れられているのを見に行ったり、
遠浅の海で遊んだりしていた記憶がある。
予讃本線が綺麗な曲線を引いて通る
古い白壁の蔵や家並の残る町だった。


東灘区から、灘区へ引っ越し、
小、中、高と神戸の学校で、
卒業と同時に、
「国鉄」と言われた頃の「銀河」に乗って、
関西を離れ、進学先の町で、
当時は下宿すると言ったが、
初めて、一人暮らしをした。

それから現在まで、
結婚をし、子どもを生んでも、
気分は、関東に流れて来た流れ者感覚のまま、
もう何十年も、東京西部に住んでいる。

この間、何があったかと言えば、
何もなかった。
思えば、無事平穏な日常で、
申し訳ないような何も無さ。

最後の日まで無事に生きられて、
無事に死ねるかは、まだわからない。

寿命のことはわからないし、
明日のことは、
運がよければ生きているだろうが、
どちらにしても、
もう地球にサヨナラする日も
そんなには遠くない。

若い頃は、
いつ死んでもいいとか、
生意気と傲慢さで、罰あたりなことを
いつでも考えていたものだ。

与えられた豊かな時間と共に生きていた時代。
今は、残り少ない灯を点して生きているような感覚。
だから、毎日、起きるたびに生きていて幸せと思う。


・燃える街、暖炉に落ちた焼夷弾 母の記憶の中のその夏

・物語(レシ)と呼ぶにふさわしい一生もあり母たちの世代







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