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高齢夫婦死亡 介護疲れで無理心中か 群馬 高崎
5月13日 4時30分 NHKニュース

12日、群馬県高崎市のマンションの敷地内で77歳の男性が死亡しているのが見つかりました。男性の自宅では77歳の妻が死亡していて、遺書と見られるメモが見つかったことなどから、警察は無理心中の可能性もあるとみて調べています。


12日午前10時半ごろ、高崎市昭和町のマンションで、「ドスンという音がした」という住人の通報を受けて消防が駆けつけたところ、近くの柳川町に住む今井稔さん(77)がマンションの敷地内で死亡しているのが見つかりました。

その後、警察が今井さんの自宅を訪ねたところ、妻の君江さん(77)がリビングの床の上であおむけの状態で死亡しているのが見つかりました。警察によりますと、君江さんは両手を腹部に置き、布がかかった状態で見つかっていて、頭部には皮下出血が見られているということです。

今井さんはことし3月、警察署に「妻の介護で悩んでいる」などと相談しており、自宅からは遺書と見られるメモが見つかったということです。警察は介護疲れによる無理心中の可能性もあるとみて調べています



これはねぇ、仕方ないと思う。
追い詰められたのだろう。

現代の日本、
身体を壊して寝たきりか、
それに近い状態になれば、
死ぬしかしょうがないような制度だもの。
死ねという制度だもの。

それならば、
なぜ薬一粒で死なせてくれないのかなぁ、
と、以前から、というか、いつでも思う。
綺麗に死なせて下さいと。
私なんか、いつでも、それしか思っていない。

尊厳死協会にも登録し、
遺書も書き、
延命の処置は、全て拒否すると書いてはあるが、
日本では、それさえ実行されるかどうかわからない。

胃婁は、最近は設置されなくなってきたが、
それでも、経管栄養や中心静脈点滴や末梢点滴、
人工心肺、人工呼吸、心臓マッサージ、輸血等々までを、
つまり、延命のための全ての処置を、
自らが意志したからと言っても、
やめてくれるとは保障してもらえない。

息子に、絶対よ、と言ったら、
「子どもの時から聞かされている」と言われたが、
医師までが、ちゃんと実行してくれるかどうかは分からない。

昔の江戸の町民のように、自力で自然に飲食できなくなったら、
町医者が来て、ご臨終と、言ってほしいのだ。
少なくとも私の場合は。


現代は、ある意味地獄を生きよと言う時代。
もしも倒れて重度になれば、
以前のような身体に回復の見込みがなくても、
救命され、ただ生かされる。

そうした時、経済負担にも、貧乏人は耐えきれない。
現在の税や社会保険料と生活費、その他に、
プラス、介護費用が、最低でも毎月15万円が必要とされる。
何年とも終わりが見えずに。

一人であれ、二人であれ、
介護費用は高額すぎ、負担は重すぎる。

生きていても良いこともないわけでもあり、
死にたくもなるだろう。
或いは生きていたくても、
生きていけなかったのだろう。

現代は、大家族制度ではないから、
家の中に若い人がいないケースが多い。

老人が一人倒れた時、
もう一方が介護をすることになり。
介護疲れで無理心中ということも普通になる。
老々介護、認認介護も普通となる。
ほぼ3・5人に一人は老人なのだから。
そして、一人が倒れれば、その周りの人間も
その介護負担のため、心身のバランスを崩し、
日本の医療費、介護費用は、倍々で増えて行く。

社会で介護を担う時代であると言い、
様々な介護保険制度を利用し、
介護度に応じ、必要に応じて、
第三者であるケアマネージャーがケアプランを作り、
ヘルパーが派遣されて介助を行うと言っても、
それを利用したところで、
一日24時間看てくれる制度でないのは勿論のこと。

週何回、何時間と決められた範囲内の利用が関の山であろうし、
介護の肉体的、精神的負担が、大して減るわけでもないだろう。
費用の点では増すばかりだろう。

それで、老老介護に限界を感じ、施設の利用を考えたとして、
介護費用の捻出が問題となり障害となるわけであり、
その実態を知れば、
世に住む大方の人は、
暢気な顔をして生きてもいられなくなるはずだが、
その時が来ないように願うだけで、
積極的に知ろうとはしないだろう。

そして、いざ自分の番が回って来て、
その金額の高さに驚くことになる。

有料ホームは初期費用からして高額な
贅沢なマンションタイプは、
医療面から生活メンテナンスまで至れり尽くせり完備した
上限も切りも無い高額所得者用であり、
これは論外としても、

ごく一般的なタイプの有料老人ホームや、
グループホームの利用料金でも、なかなか高額なもの。


そして、公的意味合いの強い、
現代の姥捨て山と言っては顰蹙を買うが、
最も費用が安く、
そのため待機者何百人待ち、
何年待ち、と言われる「特養」
でさえ15万円くらいかかり、
低所得者用の減免措置を講じても
最低10万円くらいはかかるのであり、
それは多床型であり、

災害被災者用体育館よりはいいが、
病院の他床型に似た部屋で、
その後の一生を送ってさえ、の費用であって、
本来なら必然のユニットタイプを求めれば、
さらに多額の費用を要する。

病院と、自宅・老人ホームの中間に属する
入所期間限定の「老健」でも、月間費用20万円から30万円を必要とする。

その他に、最低限の医療費や生活費も必要となるわけで、
この金額を、年金生活者が負担することになると、相当に難しい。


これは、果たして一般的イメージにあるのだろうか。
運良く、一年待ちくらいで、特養に入れたとしても、
月々15万円の負担ができるためには、
そのようになる前の普段の状態においては、
月々15万円、貯金が出来ていなければならなかったわけで、
その余裕がある家計でなければ、
月々15万円を新たに出すことは出来ないわけであり。

それが、90代にもなろうという生計を別にする親ならば、
その親の年金で処理できる問題でもあるが、
生計を一にする夫婦などであれば、問題は深刻で、
もう一方の生活費も必要となるわけで、
心中という結末もありうること。
介護する力もなく、
介護力を買う経済力もなければ、
自ら命を絶つしかないわけであって。


その上、もし、
一方ならず、夫婦共倒れにでもなれば、
その扶養義務は、
子どもにかかって行くことになるが、

二人分もとなればなおさら払えるわけもなく、
一人分でも、全く無理というもの。
子世代には子世代の問題があり、
住宅ローンや教育費用を抱え、
余裕など一切無いはず。


老老介護問題、&孤老介護問題は、
政府の課題ではないのだろうか。
税金は、防衛費などに税金を使うより、
このような問題に使うべきではないだろうか。

年金暮らしをする老人が,
医療費や生活費の他に、
月々負担できるのは、
せいぜい数万円前後ではないだろうか。

それ以上では、自力で負担することは困難に思える。
そのような負担に耐えるには、
生涯、現役時代同様の所得がなければならない。

毎月最低でも現行費用を負担しなければならないとなれば、
制度の前に、人が壊れるだろう。


複数の老々介護心中という殺人や保護者遺棄しての自殺、
これは、社会的殺人にも等しい。
個人の限界を越えることを個人に押し付けた結果に他ならない。

政治は、在宅へ在宅へと、
問題を社会から家庭・個人に返すばかりで、
防衛費や原発で、
巨大な無駄遣いをしながら、
このような問題には、本気で関わる気がない。
個人の限界を越えることこそ、
政治が解決するべき問題だと思うが。


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