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zoom RSS 羞恥心という厄介なもの オープンな生と秘匿する生

<<   作成日時 : 2018/02/08 16:05   >>

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人には性格があるな、と思う。
西部邁さんの最後の著書『保守の真髄』を読んだ。
政治的なことはともかく、
死を選択した精神的な経緯が書かれていた。

人間には、どんなにしてでも生きる人と、
自身の線引きに従って死ぬ人がいる。

西部さんは「ナチュラル・デューティ(義務)」という。
自らが、この義務を果たさなければ、
その結果は誰かに押し付けることに、必然的になる。

自分が、今までの自分でなくなったとき、
誰が、その責を負うのか。
結果的にせよ、自己のため、
誰かに労力を奉仕させ、誰かの時間を奪う権利はあるか。
それはあまりにも厚かましいのではないか。
誰も、自分のために他者を犠牲にしていい人はいない。
(もちろん、人間は、一生、
嬰児の時から死ぬ時まで、片時も他者の助けを借りずに
生きられる人は、一人もいないし、
意識するとも意識せずとも、相互扶助と共生は、当然でもあるが。
だから、感謝して甘えればいいとも言えるが、
赤ちゃんは、その微笑みで一生分の幸福を与えるとも言うから。)
しかしそれは赤ちゃんだけの特権。)


「たとえば自分の娘に自分の死にゆく際の身体的な苦しみを、
いわんや精神的な苦しみなどは、
つまりすでにその顛末を母親において十分にみているのに、
それに輪をかけてみせる、
というようなことは、できるだけしたくない。
そんなことをするのは羞恥心に悖る、と考える方向での生き方をする者がいて、
述者はそうした種類の人間なのである。」(『保守の真髄』)






自己において実行し完結したからいいけれど、
これを他人に当てはめたら、非難轟々の考え方ということになる。


他人に迷惑をかけるだけになって生きることの
是非を問うようなことを言うのは、
現代の日本では許されない考えの一つになっている。

何しろ、まだ、オランダやスイスのように、
安楽死さえ認められていないのだから。
生命への差別主義者と言われることなしに、
そのような問いを投げかければ、
殺人者同様の考え方とも非難されただろう。


重篤な疾患を持って生きている人や、
障がいのある人、他者に頼って生きざるを得ない人の心を
踏みしだく考えと言われるだろう。


たとえ脳も機能を失い、
記憶力も思考力も消滅近い生きる屍のようになったとしても、
人の生命は尊いという基本的な現代社会の合意からすれば、
生きていい命と生きて空しい命があるわけはないと、
どのような状態になっても、生きていていいのは当然であって、
生命の誕生と死は神の領域に属し、人間の決める範囲外のことであると、
生命の尊厳を冒涜する傲慢なものであると。



西部さんの書くように、「後期高齢」となり、
すこしずつ、神経や血管や細胞の衰えが顕著になり、
やがては、子どもや、他者に迷惑をかけて生きることを、
どうしても肯定できない心情などは、生命擁護の立場に立つ人や、
延命重視の日本の医学的関係者には、肯定すべきではない考え方であって、
第一に、言語機能も、その他の脳の損傷もまだない段階では、
ヒトラー的考えと同質の生命差別と見て非難されることではある。


でも、西部さん自身に即して言えば、
真実そう思っただろうし、「性格が運命」(コンスタン『アドルフ』)
なのであれば、致し方ない。



とりわけ、あらゆる理由に先んじるのが、
最も不必要とされる気質的なもの。
いっそ無ければ、厄介でないもの。
「自らの苦痛や不安といった(人にみせる種類のものではないという意味での)醜態をみせる」(『保守の真髄』)
ことに平気になれない気質。




これは、遺伝子に組み込まれた素因に近く、
その配合率によって左右される感覚でもあって、
そういう性格でもあり、その独特の羞恥心ゆえに、
それ以上、永らえないことえを選んだのは、
自然な心情の行き着く先であっただろうと思う。







しかしそれでも、人間は、煙のようにも消えられず、
揮発・蒸発することも出来ず、一時で済むとはいえ、
一旦、死体というものにならなければならない。
警察や病院や焼場の人の世話にならなければ、
ならなかったわけで、如何ともし難いこと。
西部さんは、羞ずかしかっただろうな、と思う。


覆われた柩の小窓を開けて、
死者の顔を見せるなどという習慣は、
いったいどんな無神経な人が考え出したことだろう。
焼き場の炉から引き出された骨を拾うという習慣も、


人間の想像機能を無いものとして、
習慣化されているとしか思えない。
そのような残酷な想像を許容させられるほど、
全員が、ホラー映画好きというわけでもないだろうに。
人間がその中で焼かれているという想像に耐えさせた上に、
骨となったその人を見よというのだ。
骨上げなどと言って箸を以て拾えなどともいう。
誰も異議をとなえないまま全員が出来ることになっている。
当たり前のことに。
もしも、自分の子供が幼くして死んでも、
同じことをさせるのだろうか。


人間は、魂や精神だけで生きられないから、
この世では、肉体という容れ物抜きには存在しえないから、
如何にしても、生理的な羞恥心抜きに生きることは出来ない。
アダムとイブに喩えられるまでもなく、
智慧というものが生まれた時から、
生きている限り、羞ずかしい思いを抱き続ける存在。


ライオンや豹のような高貴さは、人間に於いては稀だ。
彼らが、ただ在るように、人間もただ在れたら、
少しは変るかもしれないが。



「ぼくは不完全な死体として生まれ、
何十年かかかって完全な死体となるのである」
と言ったのは寺山修司だったけれど、
永遠に浮遊している存在が人間という気がする。
百億の命の中に無尽蔵な地球の生命が混在して。

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
自殺は否定しませんが、私が自殺するとしてもこの方のような理由ではないと思います。
生まれる死ぬは自分の自由ではできませんから、自由に望んだ死に方ができたならこの方は幸せだったかもしれませんが。
人間の命についてもこの方のような考え方はできません。
母はかなり長い期間誰かの助けを必要とする状態でした。
私がその役目でしたが、その期間が私にとってもっとも幸せな時期だったと思っています。
死へ向かうまでの様々が他人に幸せを与えられる機会かもしれません。
父は元気なままあっけなくでしたので、私に後悔しか残しませんでした。
感謝なんか必要ないと思います、甘えるだけで充分だと。
むしろ感謝するのは残された側なのでは。

亡くなった方の顔を見せるというのは、最近の葬儀の流行のようになりましたね。昔は無かったのに。
近しい人ならともかく誰彼構わず顔を見せるのはどうなのでしょう、私は嫌です。
eblo
2018/02/09 01:38
百人百様ですね。

藤真利子さんは女優を休んで凄絶な母親の介護を11年、
杉田かおるさんも数年間女優業をお休み。
最近、看取りを終えられて会見、
一番幸福な時間だったと仰っていましたね。

子役の時から忙しかったから、
介護中は、親娘の愛情が、いちばん濃密で幸福な時間だったのでしょう。
思い残すことなく、全身全霊で介護されて。

一方で、タレントの清水由貴子さんは、
介護疲れから、富士霊園の父親の墓前で自殺して、
車椅子の母親が残された。ということもありました。

綾戸智恵さんは、母親を、在宅介護されたり、
施設にお願いしたりして、
今もそれは続いていたかと思います。
「徹子の部屋」で話されていましたね。


あと、まだ子育て中だったりしたら、育児と介護と両方で、
余計に大変だったりするから、シンプルなケースの方が問題が少ない。


親一人子一人というケースでは、
親の面倒は自分がみるものと覚悟が出来ているせいか、、
割合に完結している場合が多いけれど、
なまじっか兄弟姉妹がいると、押しつけあって、
大変なことも多いようです。


昔は、長男のお嫁さんが獅子奮迅の働きで、
子育てと介護両方受け持った場合が多かったけれど、
ただ、今と違って、介護の時間が短かった。


今は、100歳まで生きる老人が珍しくないから、
そこが全然、違って来て、終りの見えない介護生活に。
それで全人生が、終ってしまう場合も。

それでも、幸福と感じて介護できる人もいれば、
できないと感じる人もいるし、
また、してもらう側にも、両方の感じ方をする人がいる。
子どもの人生を壊してしまうと苦しむ人もいれば、
素直に甘えられる人もいる。
すべて、人それぞれ。

2018/02/09 09:18
それから、生理的な感覚の問題。
私の友人は、例えば寝たきりになった時、
他人ならいいけど、自分の娘には絶対、
身体の面倒は羞ずかしくてしてもらえないと言っている。
看護士さんやお嫁さんには悪いとは思っても、
羞ずかしくはない。娘には羞ずかしくて看てもらえないと。
(他人でも、はずかしいのははずかしいけど、はずかしさが全然ちがうと。)

娘さんの方は、結婚するまで看護士だったし、
お母さんの面倒は私がみるって前々から言っていたのに。
友人は、絶対いやだと。
それくらいなら死んだ方がいいと言っている。
私には、友人の気持ちがよくわかる。
他人の方が、まだ羞ずかしさが少ないと思う。
わたしも、手や脚のサポートはしてもらえても、
それは、無理 だろうなぁと思ってしまう。

2018/02/09 10:00
あと、
西部さんも、全然娘さんに甘えないわけじゃないんですよ。
スタイリストだから、限界と限度を考えていらっしゃるだけで。
あまりに負担をかけるのは可哀想と。
娘に対する父親の思いは、母親とはまた違う愛しさがあるでしょうから。

この『保守の真髄』だって、
娘さんの強力なサポートがあって完成しているんです。
西部さんは、頸椎の磨滅と腱鞘炎の合併症で、
利き手の右手が時々神経痛に襲われるから娘さんの助力を得て、
口述筆記という形で、最後の著書を完成させることになったと、
この本の書き出し(「序に代えて」)で書かれています。
「我が娘、西部智子よ」という「あとがき」もあります。
それはそれは愛していらっしゃったと思います。

2018/02/09 11:48
フランスの前首相のお母さんのケースと、 少し似ていますね。
あの場合は、首相のお姉さんだか妹さんだかが作家で、
母親の計画的な最期を手伝う形だったんです。
前にブログで書いたから読まれたか、読まれてないか知りませんが、
あの場合も、何でもない普通のおばあさんが、
お誕生日に、私は何月何日に死にますと、みんなの前で自殺することを宣言して、
その通り実行した。娘がそれを手伝った。
自殺ほう助になるよ、と言われながら。
そんな実話をもとにした映画だった。
西部さんの娘さんの場合は、自殺そのものを手伝ったわけじゃないけど、
著述の完成を手伝った。

それで、さよなら、って。
父親の万感の思いをこめたさよなら。
最後までボロボロになっても生き抜く姿を見せるのも一生、
ここまでね、と、するのも一生。
西部さんも、ひ弱な知識人の一人だったから、
逞しさに欠けたのでしょうね。
世の中にも絶望していたし。
絶望することでしか希望は生まれないとも言っていたから。
所詮、言語は空しいとも。
実戦的な生活者には、生まれ変ってもなれないでしょうね。多分。
何度生き変っても、高等遊民の暮らしをして、
最後は、ということなのでしょう。

銭湯に来ればよかったのに^^
逞しいおじちゃん、おばちゃんで一杯です。

2018/02/09 13:15
誰だって死にたくて死ぬ人はいないと思うわ。
死に方も、 それがその人の感性に忠実な生きる形なんじゃないかな。

作家は自殺する人が 多いけれど、
画家は、あまり自殺はしませんね。
写生から始めるから、広く自然を見つめて、
自意識過剰になることが少ないんでしょうね。

開放的になるというか。
突き詰めて、自分を追いつめて発狂した画家はいたかもしれませんが
それは、珍しいケースで。

だいたいは長生きして大往生しているようです。
書くということと、描くということの差が、
何かあるんでしょうね。 右脳と左脳とか、
感覚分野や脳幹のつなぎ具合とか、いろいろ。
絵を描く方の脳分野を使って生きるといいかもしれませんね。

ピアニストや指揮者もわりあい長命。
スポーツマンは、早死にする人も。

沖縄の人は、健康にいい気候、空気、食べ物、歌や踊りが好き、
などで、比較的に長命で健康な人が多かった。
近頃は違って来たかもしれませんが。

せいぜい健康に留意して、野村沙知代さんのように
5分で死ねれば、上々です。(生きている間は、天罰でも当たりそうな方だったのに、
死に方は、後生良しで。心底羨ましい。)
5分で死ねるとなれば、
できれば支度をする一カ月くらいほしいと、言い出すことでしょうが。

2018/02/09 13:30
父は5分もかかりませんでした。
一緒にいた私が全く気付かないうちに亡くなっていました。
本人はそれでよかったかもしれませんが。
こちらは数十年前のことで今でも自責の念が。
なぜ気づかなかったのか、これって結構きついですよ。
eblo
2018/02/09 14:23
娘には気羞ずかしくて甘えられないタイプのお父さんだったかな。
長い苦労をかけたくなくてアッという間に逝かれたのかもしれませんよ。
娘の方では、どんなにでも、何十年でも心ゆくまで介護したいと思っていたとしても、男性はシャイな人が多いですから。ことに娘には。

2018/02/09 15:31
自責の念なんて持たなくていいと言われても、
自責の念に駆られるものだろうとは思いますが、
客観的に見れば、お父さんがもしその時の自分を見ていたら、
よかったと思っていらっしゃると思います。
自分のことより子どものことを思うのが親ですから。
子どものためなら、自分の命なんて幾つでも差し出すでしょう。
一瞬で命を持っていかれても、後悔はないでしょう。
いつだって、身代わりになって守るものだから、
その時も、これから娘の身に起こる悪いことを全部、
引き受けて逝かれたかもしれません。無意識にせよ。
一生、娘が幸福でありますようにって、
あの世があればあの世で思ってらっしゃる。

2018/02/09 15:55

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